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敵宗門との関係について

敵宗門(日蓮正宗)は我が一家とは無関係の団体です

シングスピール会代表・金城修一および金城家は、2015年1月10日を以って敵宗門・日蓮正宗から脱退し、その後同年9月22日にこれを確定事項と決しました。また同日付で当家ではいかなる宗教にかかわることも禁止としており、その後2017年に宗教法人日蓮正宗を絶対に復権の無い「特定カルト教団」に指定し、当家のブラックリストに永久に名を残すこととなったため、今後の復権は絶対にありません。
また日蓮正宗及び系列のカルト団体(創価学会・顕正会・正信会)に籍を置く者及びその運営する会社団体は交際及び取引関係の無資格者とされており、当家とかかわりを持つことは一切許されていません。

脱退に至るまでの経緯

当家では、2014年8月に始まった「聖域無き見直し」の取り組みの中で、あらゆるものを見直しの対象とし、この見直しの中で入信10年にも達するにも関わらず一向に成果が出ないばかりか今やモラルハラスメントの巣窟でしかない法華講での活動も見直しの対象となり、その実態が大きな問題となりました。
見直しの結果、敵対勢力が真実の追究をさせない目的で、テクノロジー犯罪の手口を以って宗教活動を焚き付けたものであるとの見解に達しました。
また、宗教活動やその影響によって多くの貴重な金員と時間が徒に失われ、正常な男女交際まで妨害されたという重い事実を当局として無視することは出来ず、2015年1月初旬頃に、宗教活動の認可を取り消し宗派から離脱するとの結論に達したものであります。
この結論を受けて、当家は2015年1月10日付にて日蓮正宗・宗門及び同・法華講からの脱退を決定し、宗門からの離脱を行い、一家は無宗教となりました。
その後、石之坊関係者による不当な脅迫・恫喝によってブログを閉鎖させられたこと、これと法悦院関係者が合同で引き戻し工作を行うなどの不法行為があったこと、これが当家が宗務院に対して不正の告発をしたことに対する不当な仕打ちとして行われたことから、その後の「離間工作の発覚」による見直しにもかかわらず、脱退の決断が正しいものであったとして、2015年9月22日付にて宗門からの脱退が確定し、今後は宗教そのものに関わらないことを決定いたしました。
また、石之坊関係者による脅迫によって不当に書かされた覚書は、法的に照らしてこれが無効であることを確認し、同日付にて破棄を行いました。

調査結果について

宗派離脱・非合法化後も含めた、一家としての調査の結果、宗教への誘導には以下のような背景と目的があったことが明らかになっています。

  • 真実の追究からのスピンを画策する以前から、敵対勢力である敵宗門・日蓮正宗一派(以下「敵宗門(一味)」と記述)は何らかの理由によって代表を(以下同じ)当該の宗教に誘導することを画策しており、そのために一時的に他の宗教(神道)に誘導し、その上で人手とBMIの双方の手口で不快な、或いは不利益を生じるための工作を数々行っていた。
  • そのような中で2000年末に当家がインターネットへの参戦を果たしたことは、敵宗門にとっては大きな脅威であった。そこで、真実の追究から半永久的にスピンし続けるための策動が考えられた。
  • まず、2001年3月に敵宗門一味はBMI犯罪の手口を以って真実の追究からのスピン、目暗ましを目的とした鉄道趣味の焚き付けを行い、ついで入信工作のための環境整備として父子関係を一時的に断絶する工作を行った。
  • 次いで、敵宗門一味は誘導する宗教の「五座三座」に合わせての環境整備として、これにそぐわない当時の生活スタイル(タクシー乗務員)を破壊するべく、BMI犯罪による姑息な誘導を行い派遣への転落を強要した。
  • 2003年夏、石之坊への誘導を何らかの理由で決定していた敵宗門宗務院は、石之坊講員の参詣計画を寺院からの報告によって知り得た上で、これに合わせて工作部門に命じたBMI犯罪によって関西への撮影遠征を強要し、当該の講員と引き合わせた。
  • 当該の講員の折伏を受けさせた上で、敵宗門の工作部門はBMIによって巧みに誘導を行い、入信という結論を強要した。その結果、9月に石之坊で入信させられることとなった。
  • その後、敵宗門工作部門は先に焚き付けていた鉄道趣味を悪用して、敵対勢力に都合のよい地域への移住誘導策動を行った。当該の物件には、その狭さにかかわらず仏壇を置くための板の間スペースが付いていた。このことから、誘導した宗教に居住環境を最適化させるための環境整備であったと当局では見ている。
  • これらの結果、鉄道趣味の悪用と相俟って真実の追究からは遠ざけられ、また石之坊更に後に移籍させられた法悦院の双方の寺院で嫌がらせや仄めかし、ハラスメントのターゲットにされるなどした挙句、家族関係は破壊され、宗教の教義によってがんじがらめにされた結果正常な男女交際からも遠ざけられるなど、人生を徹底的に破壊された。

離間工作の意図的発覚について

法華講による不当な脅迫・恫喝事件のあと、「離間工作の発覚」が起こったが、これに伴う調査の結果、この離間工作は他ならぬ敵宗門によるものであり更にこの発覚は敵宗門がこれを利用してその行為者を偽って引き戻しを謀るべく起こされた、意図的発覚であることが調査の結果判明している。

遺骨問題

脱退後も亡父の遺骨が敵宗門の本山にあるというきわめて不本意かつ屈辱的な状態が長期に亘って続いていた。
2016年に事後処理が行われたが、この際に遺骨問題も検討されていた。しかし敵一味はあらぬ思い込み(きわめて多額の費用がかかり困難という内容)を捩じ込んで解決を妨害、その後長期に亘って忘れ去らせるという邪悪な所業に及びその上再三の好機もすべてハタカセで潰して遺骨の奪還をさせなかった。
これは敵宗門一味にとって遺骨問題が最後の砦となっており、敵宗門はこれに引き戻しへの一縷の望みを賭けていたためであることがわかっている。つまり遺骨問題が解決してしまうと敵宗門は取り付く島を完全に失くすためこれまで発覚を汚い手段とスピンで押さえ込んで妨害していたということである。
その後低廉な費用で永代供養ができることが発覚したが、敵一味は無慈悲に資金をハタカセた上計画と称してあらぬ物を捩じ込んでこれを妨害している。
しかし、受け入れ先候補と協議の結果、新たな方法(一旦一時預かりとした上で改めて永代供養とする)でこれを実現可能なことがわかり、遺骨の奪還計画が決定し、敵が捩じ込んだ他の「計画」は遺骨問題の解決を妨害するための「トロイの木馬」であると断定してこれを破棄した。
その結果、2018年4月に遺骨を敵宗門から奪還し、新たな受け入れ先に仮納骨を行った。その後、オプションが後付できることが判明したためまずオプションを後回しとして敵宗門抜きでの永代供養を実現することを優先することを決定し、同年9月6日を以って納骨の手続きを完了し、敵宗門抜きでの永代供養が実現した。また、同年10月21日に行われた合同慰霊祭には当家代表も参列し、「二度と敵宗門には戻ることは無い」という堅固な意思を峻烈に示した。
当該施設は敵宗門に隷属せる僧俗は一切立ち入ることが出来ない上、一度納骨した遺骨を出すことも不可能であるため「遺骨を握って支配する」という敵宗門の邪悪なる企みはここに永遠に潰えたものである。

現在の統制

現在、シングスピール会当局では当該の日蓮正宗をはじめとして、あらゆる種類のあらゆる宗教を禁制とし、これらに関わることを厳しく禁止し、徹底しています。
また、これら宗教に関わっている徒輩、関わりのある輩との交際・交流を厳しく禁じています。
今後の引き戻し及び脅迫等の策動、及び宗教関係者による交際・交流のための策動に対しては、一の例外もなく厳格なる対処と処断を以って臨むこととしています。

宗教非合法化に伴う措置について

今回の宗教非合法化に伴い、禁忌事項に「日蓮正宗に現に在籍している者」「日蓮正宗から脱退後所定の欠格期間を満了しない者」の項目を追加した。

日蓮正宗に在籍していた者の欠格期間について

日蓮正宗を脱退後の欠格期間については、基本欠格期間は在籍中および脱退から満10年とする。幹部・役職(後述の寺院を除く)であった者は20年とする。
なお、本会が特に指定する寺院・講中に所属していた輩(ハラスメントの深刻な被害者を除く)については2016年7月以降、欠格期間を脱退後20年(幹部・役職だった者は50年)とする。
現に謀略行為に参加・加担し若しくはハラスメントに関わっていた輩、謀略部門等の所属者は終身欠格とし、復権を認めていない。
なお、同宗の謀略部門である石之坊・法悦院・法道院・妙観講・妙相寺・本種寺に所属していた輩(ハラスメントの深刻な被害者を除く)で2015年3月以降引き続き所属していて所属すること1年以上に及んだ者については一切復権を認めていない。

本会が特に悪質として指定する寺院・講中

本会が特に「工作部門」として指定する悪質寺院・講中は以下のとおりである。
石之坊・法悦院・法道院・常在寺・本行寺・妙相寺・理境坊・妙観講・本種寺・讃岐本門寺・妙広寺・日正寺
※2018年11月末日現在

宗教問題関連年表

1983年頃 代表・金城修一(以下「代表」と表記)の実母が創価学会に入信、家族も強制的に入れられる。
1984年 実母の都合によって絶海の孤島へ移住させられる。
1988年 実母が現地で客死、その後一家は創価学会を脱退。正式には同年12月末日付け。
2000年頃 敵宗門一派(以下「敵宗門」「敵側」と表記)のBMI犯罪によって一時的に別の宗教に誘導される。*1
2001年3月頃 敵宗門によるBMI犯罪によって当時既にどうでもよくなっていた鉄道趣味が焚き付けられる。*1 *2
2001年4月 敵側のBMI犯罪によって父子関係が一時的に断絶させられる。*1
2002年1月 敵側のBMI犯罪によって派遣に転落させられる。*1
2003年8月 敵側のBMI犯罪によって関西に旅行させられ、その帰路で石之坊講員に遭遇させられる。*3
2003年9月 敵側のBMI犯罪による誘導により、石之坊で入信させられる。
2005年3月 敵宗門によって断絶させられていた父子関係を修復。
同年 代表に不当に接近して石之坊に引きずり込んだ石之坊工作員、岩下容疑者が死亡。実際には後年の口外を恐れた敵宗門一味によって病気を装って暗殺されたといわれている。
2010年4月 石之坊講員の不正を追及しようとした所、話を地元寺院云々という話にスリカエられ、一方的に移籍先を指定される形で石之坊を追われる。その後、宗派離脱も検討されたが、敵側BMI犯罪により押し止められる。
2013年~ 一方的に指定された移籍先である、法悦院講内で孤立させられる。
2013年 この年だけで3度にも及ぶ交際類似事犯が法悦院によって惹き起こされる。
2014年8月 聖域なき見直しが行われることになり、宗教問題も対象とする。
2015年1月 宗派離脱を決定。その後、宗務院にて離脱手続きを要求するが、本尊の返還を拒否され、別寺院「法道院」を紹介された。しかし、真実を追及しようとしたところその寺院で大変不誠実な対応をされた。断りの電話を入れたがまともに答えないという有様だった。
2015年6月 石之坊・法悦院の両寺院の者による押しかけ事件、ついで石之坊講員による脅迫事件が発生する(写真)。その影響により、不正追及のためのブログを閉鎖させられる。
2015年8月 最後に隷属させられていた寺院における、離間工作の発覚という事案が生じた。しかし、調査の結果離間工作をやっていたのはこの寺院の幹部であり、更にこの発覚は敵側がその行為者を偽り何としても宗門に引き戻さんとして起こした意図的発覚であると判明した。
2015年9月 先記の調査結果を受けて、1月に決定した宗派離脱が確定。
2016年2月~3月 宗派離脱に伴う事後処理が行われる。以後、当家は日蓮正宗とは一切無関係となる。しかし宗門らはその後も裏で手を回して迫害行為を続けている。
2016年7月 交際類似事犯による引き戻しの画策を遮断するため、欠格期間についての移行措置を廃止、および当家の指定する寺院に在籍していた輩についての欠格期間の延長を実施した。
2016年10月 先述両寺院の者によるネット上での引っ掛け誘導尋問事件が惹起。警察の知るところとなる。以後表立った事件は起きていないものの、今も敵宗門は裏部隊を駆使して本会及び代表の生活妨害を延々と続けている状況である。
2018年1月 遺骨問題の隠蔽が発覚したが、残忍無慈悲なハタカセをやっておいて意図的に起こされたものであることが後に判明している。敵一味はくだらない計画をセットで捩じ込み、その解決を妨害しようとする。意図的に知らせながら迫害や妨害を加える人権蹂躙行為であるといえる。
2018年3月 捩じ込まれた計画を破棄し、遺骨問題の解決に着手することを決定。敵一味はこれに対して大魚封殺という無慈悲な報復を以て応えている。
2018年4月 亡父の遺骨を敵宗門から奪還し、一家選定の新たな施設に仮納骨。
2018年6月 法悦講員と思しき輩が突撃してくるが、すれ違いで未遂に終わる。
2018年9月 納骨の手続きが全て滞りなく終了し、敵宗門との悪縁を全て断ち切った。
2018年10月 一家選定の新施設で行われた合同慰霊祭に代表が参列、改めて敵宗門からの決別の堅固な意志を内外に示す。
2019年5月 法悦院執着軍団の輩によると思しきネット上での嫌がらせ事件が惹起し、10月頃まで打ち続く。
2020年1月 敵宗門から脱退して満5周年を10日に迎えた。
2020年3月 敵宗門一味による超大型の洗脳スピン策動が発覚。
2020年4月 先の発覚を受けて生活再生計画と戦後処理が開始されたが、敵宗門一味はこれに対して無慈悲な逆上事件の惹起を以って応え今も一部に影響と禍根を残している。
2020年12月 敵宗門一味による妨害むなしく、戦後処理事業が無事に完了。
2021年1月 敵宗門脱退6周年を迎える。
2022年1月 敵宗門脱退7周年を迎える。

*1 宗教に誘導するための環境整備のために起こされた事件。
*2 真実の追究からスピンし、真実を見させないようにするために行われた。
*3 宗教への誘導のための直接的な工作。

おことわり
本ページに記載の情報につきましては、情勢の変化、および当家の都合などにより内容が変更となる場合があります。予めご了承ください。
本ページの最終更新日は2022年6月3日です。